恩田陸 「三月は深き紅の淵を」

4月8日

 

まずタイトルに惹かれた。

「三月は深き紅の淵を」、なんて良いタイトル…

第1章を読んでいるところで、「これ自体が三月は深き紅の淵を、だったりするのか…?」という疑問は持っていた。内容が似ていたし、まあわかるだろう。そして終わり方の「尻切れとんぼ」感も「三月は深き紅の淵を」の第1章「黒と茶の幻想」と通じるなあと思った。

第二章。これも「冬の湖」と同じ夜の章だ。そうすると、「三月は深き紅の淵を」における「柘榴」と呼応するものは何なんだろう…?最終章まで読んでみて「鏡」なのではないか…?とぼんやりと思った。それとも第四章で言及されている和泉八雲なのだろうか?でもそれにしては簡単に答えを出しすぎているような気がする…。恩田陸さんの作品で読んだことがあるのが「蛇行する川のほとり」「夜のピクニック」「木漏れ日に泳ぐ魚」「ユージニア」「ネバーランド」「夜の底は柔らかな幻」「ブラザー・サンシスタームーン」「蜜蜂と遠雷」ぐらいでありあまり初期の作品、ミステリーを読んでいないため作品の傾向がちゃんとつかめてない。多分全部読んで何となくの特徴をつかめたら、「柘榴」に呼応するものが何なのかわかる気がする。

そして今恩田陸さんの作品何読んだかな、と調べたところ「黒と茶の幻想」という本があるのか…最高か…読まなくてはいけない…こういう風に本同士が繋がりを持って一つの世界が形成される、という作品たちがとても好きだ。そこに深く入り込める。

この本、一度読んだだけで全て理解するのは無理だ。ちゃんとじっくりもう一度読み直したらまた新たな発見がある気がする。

第三章はまさに「血の話」。登場する一人一人のキャラクターが魅力的すぎて、それぞれが主人公の小説が読みたくなる。特に早坂詠子と廣田啓輔、そして神崎君は魅力的だ。それぞれがそれぞれの人生を生きている感が強くて誰しもが主人公になりうると思っている。

第四章は「小説家の頭の中」。恩田陸さん自身なんだろうか、すごい本だ…。話があっちこっちに行き、まさに頭の中、という感じ。あれこれどこの世界線の話だ?と思うことが何度かあった。何となく夢野久作ドグラ・マグラを思い出した。

そしてこれが「黒と茶の幻想」に繋がっている…?らしい。読みたい。

 

最近の恩田さんの作品である「蜜蜂と遠雷」を読んで、作風が変わった…?というような印象を抱いていた。この本は1997年の本だし、一番「蜜蜂と遠雷」に近いこれまでに読んだ本は2013年の「夜の底は柔らかな幻」だ。そこから3年…思ったより時が経ってなかったもっと経ってるかと思った。

作風が変わった、というよりかはジャンルが違うのかもしれない。「蜜蜂と遠雷」は「夜のピクニック」と同じ雰囲気、少年少女の物語、という感じなのだろうか。雰囲気が明るい。何となく希望や将来への明るさが漂っている気がする。

対して「蛇行する川のほとり」や「夜の底は柔らかな幻」、「ネバーランド」そしてこの「三月は深き紅の淵を」などは暗い雰囲気。重く暗い空気が流れているのを感じる。そしてミステリーに分類されるような作品たちだ。ハッピーエンドじゃないのか。ハッピーエンド、というか物語の終わりがはっきりしない、というか明瞭ではないというか漠然としている、というべきか…

こんな風に一人の作家さんの本を何冊を読むことはとても面白い。初期はこんな感じだがいまはこんな感じなのか、と比べるのもワクワクする。

そして最近気付いた読書のもう一つの楽しみが、歳が近い作者だとその作者の作品とともに自分自身も成長していける、という点だ。まさに現代を表現しているその作品と同じ時代を生き続けられる、一緒に時代を生きることができる、というのはとても幸せだ。朝井リョウさんや柚木麻子さんが、私にとってのそんな作家さんだ。

そして自分より年下の人気作家が出て来た時…楽しみすぎる。もういるのだろうがあまりちゃんと同世代の作家さんをチェックできていない。探さなきゃ。

私の下の世代は今の時代について何を考えどう思っているのだろうか。それを彼らの本を通して私も知ることができる、ということが今からとても楽しみだ。